愛をくらえ

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「世界が愛で溢れるって、意外と…というか、厄介なものだね」

 

 

「残念だ」と笑う元KOHは相変わらず呑気なもので、やっぱトップ取るヤツってどっか回線イカレてんのかなんて思った。

 ただこいつが捕獲したカルト野郎はもっとイカレていた。 「この穢れたどうしようもなく醜く、乾いた世界を愛で満たすのが、神から与えられた使命だ」と本気で信じ込んでいた。

 ネクストという特殊能力を保持する事は、社会的差別からくるコンプレックスと同時に選民意識を増大させる奴もいる。色んな事に押し潰されちまわない為の自己防衛本能なのかな、と思わないでもないが、難しい話になりそうで面倒くさいから考えないことにする。

 悪い事は悪いし、悪いヤツはとっ捕まえりゃそれでいい。  で、元KOH――スカイハイもまあ、大声で宗教宣伝ぶち上げながら、休日の大通りでパニックの渦中にいたカルト野郎をとっ捕まえた。機動力で言ったら、悔しいがやっぱり空を飛べるこいつが抜きんでている。

 偶々近くで万引きの取り締まりをしていた俺とバニーが、二番手で捕り物に加わった。 「まあ今回は譲りましょう」なんて、ポイント稼いで二部リーグからの脱却を目論むバニーは複雑そうに笑っていたが、犯人確保のポイントと引き換えにスカイハイがまともにカルト野郎の能力にハマったのを知った時はそれ以上、心底複雑そうだった。  何かを盗む事もなく、街を破壊する事も、誰かに怪我を負わせた訳でもない分、大人しい犯人だった。能力も色んな意味で微妙で、厄介で気持ち悪い。

 カルト野郎とまともに目を合わせるとかかってしまうタイプの能力で、一定期間視覚障害を引き起こされると言うものだ。

 と言っても視力を奪われる訳じゃない。

 目にする人間全てがオンリーワン、自分の愛する人と同じ姿にしか見えなくなっちまうのだ。

  「やあしかし、小さな赤ん坊までワイルド君だったのにはびっくりしたよ」

 そしてこいつは世界中の人間全部が、俺に見えるらしい。ホラーだ。

「よしてくれ、想像するときもい」

「そうかい?水色のベビー服が中々可愛らしかったよ。ただベビーカーから足がはみ出して、落ちやしないかとひやひやしたんだ」

「やめろっつってんだろ」

 俺はスカイハイに水のペットボトルを投げつけた。

「おっと」とスカイハイがキャッチする。

「怒らせてしまっただろうか。でも本当に本当に可愛かったんだよ。それに色んなワイルド君が居て、ああ、あれも凄くびっくりしたんだ。化粧品のポスターまでワイルド君で」

「分かった、分かったからもう黙れ」

 化粧品のポスターと言うのは、多分アレだ。ビルにでかでかと張り付いてるトップモデルが素っ裸で、もう一人の自分と扇情的に絡み合ってるアレ。勘弁しろ、まじで。

 家は俺のパーソナルスペースだ。本来他人を入れることは好まない。それを押してスカイハイを連れて帰ってきたのは、ほっとくと勝手に俺がコスプレしまくることになるからだ。幼児な俺とか、スカート穿いてる俺とか、ナースな俺とか、OLな俺とか。  実際能力にかかったばかりで状況が読めなかったスカイハイは、婦人警官の一人に「ワイルド君!何故そんなハレンチな格好を!」と、顔を真っ赤にして言っていたのだ。思い出すだけで眩暈がする。

 アクション映画の看板でごつい銃を構えたスパイヒーローが俺だったと言うのはいい気分だったが、その主人公にしな垂れかかったセクシーなドレス姿のヒロインも俺だったと言うのでどん底だ。いやそれどころか、もっとえぐい映像は世の中溢れてまくっているのだ。例えこいつにだけそう見えているにしても、嫌なモンは嫌だ。勝手に見られたくない。本物の俺以外の人間を、迂闊にスカイハイに見せる訳にはいかないのである。

 連れて帰ると言うとバニーは何故か変な顔をしていたが、構う余裕は俺には無かった。

 初めて訪れた俺の部屋で物珍しそうにそわそわしていたスカイハイは、今はソファに座って嬉しそうにそわそわしている。うちはペット禁止だから、お友達のジョンは可愛そうだが、ペットシッターとお留守番だ。 「何で俺かね」 「君が好きだからじゃないかな」

 ソファに座った俺に、にこにことスカイハイが笑う。  白人、ブロンド。バニーのような、もう突き抜けちゃってる美貌って言うんじゃないが、人目を引くツラに体格だって並みよりいい。色んな事がストレート過ぎて疲れる事も多いが、いやそっちの方が多い気がするんだが、いい奴だ。それで元KOH。その気になれば引く手数多ってやつだろう。でも俺が好きらしい。残念過ぎて他人事ながら心配だ。

 二部で復帰してから唐突に告白された時には、空いた口が塞がらないってのを実感したもんだ。

「それは聞いた。だからそもそも何で俺なんだよって」

「君が引退して、心にぽっかり穴が開いたみたいになったんだ。私は寂しかった。でもワイルド君が帰ってきて復帰したら、とても嬉しかった。そして嬉しかったんだ。そうしたら好きなんだと気付けたんだ」

「そりゃお前、懐かしい顔に会って感激した!ってやつだろ。大袈裟になってんだって、勘違い」

「確かに感激もした!なんて言ったって、私は君に恋をしているんだから」とスカイハイ。輝くような笑顔だ。

 恋。俺はずり落ちそうになったソファに座り直した。

「俺はしちゃってないよ」

「それは知ってる。押し付けるつもりはないんだ」

「俺がそれでも迷惑って言ったらどうすんだよ」

「それは…申し訳ないと思う。でも好きなんだ」

 スカイハイは済まなそうに笑った。似合わない顔だ。

「それに、私の世界は今、君で一杯だ。何しろ鏡の中の自分まで君に見える」

 

「勘違いじゃない」とスカイハイは真っ直ぐ俺を見る。

 

 唐突に面倒臭い。俺はソファーに寝転がった。

「ワイルド君」

 頭の上で俺を呼ぶ声がする。天井の蛍光灯が眩しい。俺は腕で目を覆った。

「それで、お前の世界は愛で満たされちゃってんのか」

 スカイハイがなにか考え込むような気配がした。

「難しいね」とスカイハイ。

「見る物全部がワイルド君で、それはとても微笑ましかったり嬉しかったり思えるんだ。でもどの人も、私の好きなワイルド君じゃないんだ。姿が同じでもそれだけじゃ、愛しているとは思えない。逆にとても不安だ。君を見失ってしまいそうで」

「それに」と続くスカイハイの声は、酷く近くで聞こえた。

「自分までワイルド君に見える。私がワイルド君になってしまったら、ワイルド君を愛している「私」は何処かに消えてしまう気がして怖いんだ。虚像の君で閉じられた私の世界は、愛と言うより滅びのイメージだよ。発展性がない」

 

「なら、あの犯人が世界に満たしたかったのは、愛じゃないと思えるんだ」

 ふと寂しげにスカイハイが続けた。

「塗りつぶして、愛したかったのかな、自分自身を」

「よせ。捕まえた犯人に感情移入するもんじゃない、身動き出来なくなるぞ。何年ヒーローやってんだ」

「んで近い」と文句を言うとスカイハイが笑った。

 腕をずらすとスカイハイが覗き込んでいた。曇りのないブルーアイは不思議と冷たい印象がない、優しい色だ。こんな近くで見るのは初めてだった。

「とても感情的に見えて、ワイルド君は時々酷くクールだ」

「そりゃ悪かったな」

「褒めてるんだよ。私は君をヒーローとして尊敬している。そしてそういうところも愛している」

「過大評価もやめろって」

 苦笑してしまう。ストレート過ぎて照れも感じない。

 スカイハイの額を肩に感じる。少し癖のある髪が首に触れた。清潔な甘くないシャンプーの匂いがした。

 

「なあ、お前俺と寝たいの」

 返事まで間があった。答えは「イエス」。イエスか、やっぱな。

「寝るのは構やしないけどな。惚れた腫れたは勘弁だ」

 俺の性癖はヘテロの筈だが、ゲイに偏見もない。酔っ払って朝起きたら同じベッドに素っ裸の男が寝ていたことがあるくらいだから、本質的にはどっちでもいいのかも知れない。

 さすがにその時は慌てたが、トラウマになったってことも無かった。ベッドに女が寝ていても、後悔の質は同じだった筈だ。

 いい大人が恋を語って、プラトニックで満足ですって方が、不健全な気もする。俺にしても、出し惜しみするような初心さは枯れ果てている。

 スカイハイをそういう意味で好きじゃないが、人間的には好きだ。寝ようと思えば寝られる。たかがセックスだ。マグロになりそうだけど。いや多分マグロだけど、俺。それでいいなら寝られる。こいつがそんなセックスを気持ちいいと思えるかどうかは知らないが。

「酷いな」とスカイハイが顔を上げた。困った顔をしている。

「それでも、つけ込んでしまうよ」

 そういうスカイハイは、爽やかなヒーローではなく、男の顔をしていた。

「こと君に関しては、余裕がないんだ」

 俺は笑った。

「お前も男なんだなあ」

 からかったつもりも無かったが、スカイハイがむっとした。

「うお、近え」と焦ったら、もうキスされてた。キス。

 寝てもいいとは思ったが。言っちゃったし。実際出来るのか?と言う不安もなくはなかったんだが、キスは平気だった。気持ちも良い。

 男の口唇も女の口唇も、目を閉じてしまえば変わらない。ざらつく髭の感触も、やばいことをしているようで案外興奮する。包み込まれて、擦られて、こねられる。厚みのあるスカイハイの口唇は、柔らかで弾力があった。

 入ってきた舌も自然と受け入れた。こいつこんなキスするのか。情熱的な、切羽詰まった感じは嫌いじゃない。久しぶりに感じる他人の味は十分に酔える。

 でもちょっとしつこい。

 

「ワイルド君」

 長いキスの後、今まで聞いたことがない、セクシーに濡れた低音でスカイハイが言った。

「君の世界は、愛に満ちているかい」

 俺は目を開いた。じっとスカイハイが俺を見ていた。

「目が、あったね。君も、彼と」

 そうだ、俺も見た。あいつの目。痩せた若い男の、妙に大きくぎょろついた、黄色い目を見た。

「君の世界は、愛で閉じているのかな」

 

 たとえば。

 今、目の前に死んだ女房の姿があったら、俺はこいつを突き放す優しさも持ちえたのかもしれない。

 鏡の向こうには、変わり映えもない、ワイルドタイガーのスーツを着た俺が居た。  思い出を愛と呼んではいけないのか。風化したのか。最初から愛じゃなかったのか。  随分前に錆びついた胸は軋みもしない。

 喪失感や寂しさなんて今更な感情はごっそり削り取られ、何も感じられず、あいつと一緒に土の下に埋められたまんまで、俺は相変わらずの抜け殻で、愛情なんてもんを蹴り飛ばす。

 閉じていないが開いてもいない、褪せていくだけの空っぽの俺の世界は、能力にかからなくったって、優しい愛に満たされたこいつの世界に寄り添えない。

 

 とっくに滅び果てている。

 

 だから。

 

「お前は、見る目ないよ」

 もっとずっときれいな愛は、そこらじゅうに転がってるのに、注いでも零れていくだけの俺じゃ。

 

「なんで俺かね」

 そう言うと、スカイハイは悲しそうな顔で笑った。  二度目のキスは優しく、慰めのようだった。